10年以上前、ちょうど40になる前の年。
私は産婦人科の待合席に座っていた。
毎年恒例の健康診断で引っ掛かり、再検査。
あまりにも恒例になっていたのだが、それでも婦人科の検診ほど苦痛な物はない。
男性にはわからないかもしれない。
あの検査の時の
体の奥から抉られるような感覚を。
始まり
私は20代前半。かなり早い段階から健康診断に引っ掛かり続けていた。
その頃は今ほどお酒を飲んでいたわけでもなく、毎回項目は一緒だった。
”子宮がん検診”
これで毎回引っかかる。
子宮筋腫があるのだ。
再検査になるのだが、再検査に行くと毎回「経過を見ましょう」と言われる。
投薬などがあるわけではなく、ただただ経過観察を言い渡される。
この繰り返しが15年続いていたのだ。
そんな状態なので私は甘く見ていたのかもしれない。
1か月に二度くる生理にも。
1時間に一回交換しなければ漏れてしまうほどの経血の存在も。
すべてに慣れすぎて当たり前になってしまっていた。
健康診断に引っ掛かると再検査を受け、会社に提出しなければならない。
毎回同じ結果を伝えられ続けてきた私は、検査の不快感はあるものの割と楽観的に再検査を受けに行った。
そこは評判のいい個人病院で優しい女医さんがいるので気に入っていたのだが、少し大きい病院に行った方がいいかもしれないと言われてしまった。
そこは健康診断を受けている健康診断専門の機関のとなりに併設されている病院で、待ち時間が長いのであまり行きたくはなかった。
大きい病院はとにかく待ち時間が長い。
シフト制の仕事をしている私には”待ち時間が短い”というのは大事なポイントだった。
15年もの間「経過を見ましょう」と言われ続けていた私は少し麻痺してしまっていたのかもしれない。
検査結果を見た先生が「そろそろ手術した方がいいかもしれませんね。」と言った時には、素直に
「私がですか?」と思った。
手術をすすめられるまで
筋腫の数が増えており、痛みも強いはずだから切除した方がいい。
かなり大きいサイズの腫瘍もあるので、”薬で生理を止めて腫瘍を小さくする必要がある。”
とのことで半年間ピルを服用することになった。
生理を止めると活動停止状態になり、腫瘍がちいさくなるのでそこを狙って切除するのだという。
余談ではあるが、その頃私は彼氏と別れ猛烈に傷心中。
そんなさなかに昇進話が舞い降り、本来なら断りたかったが”自分は一生独りなのかもしれない”と感じた為その話を受けたという経緯があった。
手術の説明の際、母も同席の説明で医師が
「今後の妊娠出産の為にも子宮温存する方向で手術をしますよね?」的な話をしていた。
母は「そうですね」と神妙な顔で相槌を打っていたが、当の本人は「そんな機会もないだろうから全摘出でよいのではないか?」と思っていたのは内緒である。
ピル服用の半年間
手術に向かうまでの半年間、ピルを服用することになった。
個人的に不便はなかったように感じたのだが、医師からは「薬で一時的に生理を止める為、更年期障害のような症状が出ます。」という説明は受けていた。
更年期障害と言われても、その時点でなったことがないのでよくわからなかったのだが、なんでもない時に汗が噴き出したりして”ああ、これが更年期障害なのか”と思ったりした。
しかし、それ以上でもそれ以下でもなく正直更年期障害で困って困ってしょうがなかった!みたいなエピソードはない。
個人的にとても印象的だったのはむしろ入院してからのことだった。
手術前の入院生活
手術を控えて入院したのは2,3日前だったように記憶している。
手術に向けての検査を受ける以外はとても暇だった。
同室にはさすが産婦人科と言おうか、見事に妊婦さんばかりだった。
しかも毎日誰かしらが出産して部屋が変わっていくのでどんどこ人員が変わっていった。
夜中に産気づいて、翌朝にはいなくなってたりしたのでまぁ~回転が速かった。
たった3日程度の間に、人員は総入れ替えされていた。古株は私だけである。
手術前のことはあまり記憶がない。
ただ、この機会にダイエットをしようと目論んでいたのだがあまり痩せなかったことは覚えている。
友達がlineでくだらない話にいつまでも付き合ってくれて、とてもありがたく感じた。
非日常に身を置くと物事の違う側面が見えてくるものだ。
殊勝にも自分も人に優しくしようと考えたりもした。
手術当日~術後の地獄の一夜
手術前日から下剤が始まる。
お腹の中を空っぽにしておかないといけないらしい。
何時からだったか思い出せないのだが数時間おきに下剤を飲まないといけなかった。
特にまずかった記憶もないのだが美味しくもなかった。
今では考えられないのだが、そこまで下剤の効きが感じられなかった。
手術当日に薄いカーテン一枚を隔てたトイレで、看護師さんがいる中で用を足さなければいけなかった記憶がある。
下剤を服用しているのでそれはそれは爆音の大放出でとても恥ずかしかった。
なぜそんなプライバシーナッシングなところで用を足さなければならなかったのか、そこの部分は思い出せないのだがお腹が痛くてそれどころではなかったのも事実だ。
手術当日は私は寝ていただけなのであまり記憶がないのだが、筋腫の数が思ったよりも多く当初予定されていた時間よりも長引いた。
術後の半覚醒の状態で「これをとりましたよ」と説明される為に少しだけ起こされた。
「グレープフルーツ大の腫瘍がありましたよ」と言われてこぶし大の腫瘍を見せられたことをうっすら覚えている。
その時は比較的元気だったのだが、夜10時くらいから麻酔が切れた為かしんどくてしょうがなかった。
血栓が出来るのを防ぐ為に足に空気でマッサージする機械がつけられているのだが、これが煩わしくてしょうがない。気が散って眠れないのだ。
熱もでているし、喉も乾いてしょうがないのだが水は禁止だと言われて飲ませてもらえない。
喉が渇いている。マッサージ機は邪魔でしょうがない。しかも呼吸が安定してないと呼吸器をつけられてしまう。それがまた苦しくてたまらない。私の人生の中で間違いなく辛かったワースト3に入る経験だ。
喉が渇いてしょうがないので朝まで、”早く水が飲みたい”とそれだけを願った悪魔の一夜だった。
翌日来てくれた母が、「昨日の術後の方が元気だった。」と憔悴している私に驚いていた。
それはしょうがない。私は水が飲みたくて死にそうだったのだ。
あんなにカラカラだったことはいまだかつてなかった。
術後の回復と傷跡
私の傷跡は下腹部に真一文字に出来ていた。
ホチキスのようなもので止められており”キズ”という感じで見ていて痛々しい。
本当に真一文字で切腹くらいの切り方なので”昔だったら死んでるじゃん”という感想が浮かぶ。
余談だが、お腹の元々の皺に沿った切り方をしてあるらしいので治った今となっては傷口は全然目立たない。
しかし、筋繊維が切られているからか力が入らず、お腹の肉がぽっこりその線に乗っかるのがかなり長いこと治らなかった。
そんな痛々しい状態なのに、もうシャワーを浴びていいと言われた。
今は術後すぐでも”動いた方がいい”と言われまくるらしい。
夏だったのでシャワーは浴びたいので嬉しい。
シャワールームのドアに表がぶら下げられており、使いたい時間帯に名前を記入するのだ。
すなわち早いもの勝ち。
私はその日から毎日シャワールームに名前を書きに行った。
初日、まだまだ傷口が痛い状態でヨロヨロしながらシャワールームに向かっていると先生とすれ違った。
先生はいったん無言ですれ違ったのち、u-turnしてきた。
変貌ぶりにびっくりしていた。
相当やつれていたのだと思う。
私は気管支系が弱かったので子供の頃、肺炎でよく入院していたがお風呂は毎日は入れなかったように思う。
その感覚のままでいたら、意外にも毎日入ることが出来て嬉しかった。
しかし、そのせいで持ってきていたシャンプー類が足りなくなったのだが。
入院生活で出会った人たち
術後は私も違う部屋へと移動になった。
産婦人科の患者さんだけではなく、女子高生の整形外科の患者さんらしき人も同室だったのでどういう構成だったのか定かではない。
そんな中で印象的だった同室さんが2人いる。
どちらも顔も名前も覚えてないので仮名で語らせていただく。
一人目はシャンプーさん。
毎日シャワーを浴びることで手持ちのシャンプーが足りなくなった私が、見舞いに来てくれた父に「家からシャンプーを持ってきてくれ」と指示していたからか
「明日退院するから。」と高級シャンプーを分けてくれた。
それまで特に話したこともなかったので、優しい人がいるものだと素直に感動した。
もう一人は一日だけの入院でぴっちりとカーテンを閉めていて顔も見ていない。
見舞いに来てくれた友人としゃべっていたら、カーテン越しに「静かにしてくれませんかね?」と注意された。
ここまでなら、自分たちがうるさくしすぎたんだな。と反省するだけだったのだが、彼女は早朝5時からベッド横の引き出しをガラガラガラガラと何回も大きな音で開け閉めしていた。
”一日だけなのに何をそんなに詰め込んでいたのか?”
とにかくうるさくて恨めしかった。最初自分もうるさいんじゃん!と腹がたったが「自分も人に迷惑をかけないようにしよう」と反省するきっかけにもなった。
自分はシャンプーさんのように困っている人を助けてあげられる人になりたい。
そう思った。
入院生活を楽しくするコツ
私は好き嫌いが多い。魚介類はほぼ食べれない。
入院するにあたって食事は懸念事項だった。
案の定ほぼ食べれるものがない。それでなくとも病院の食事はあまり美味しくない。
ちょっと歩く練習をしているくらいで、後は寝ているのだからそもそもそんなにお腹は空かない。
三食なんて無理なのだ。
友達が持ってきてくれるお土産はおいしくいただいたが、食事についてはほぼ手を付けられなかった。
勿体ないことである。
手術以降は特に食事制限はなかった為、美味しく食べれる”ご飯のお供”を準備しておけばよかったなと今更ながら思う。
また、私が入院していた10数年前はiPadもまだ持っていなかった。
動画や映画を見れる環境だったら、入院生活もかなり楽しかったのではないかと思う。
カード式のテレビを見るしか娯楽がなかった。
9時という、超夜型の私にはありえない早さの消灯は地獄でしかなかった。
iPadがあれば、土砂降りの雨の日に真っ暗な中で「貞子3D」を見て、巡回に来た看護師さんを驚かせることもなかっただろう。
まとめ
入院や手術というと、どうしても暗いイメージを持ってしまう。
だが実際に経験してみると、そこには意外と日常の延長のような時間もあった。
シャンプーを分けてくれた人。
カーテン超しに注意してきた人。
そして爆音トイレの思い出。
どれも今では、少し笑える記憶へと変化している。
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